疲れた大人の何もしない一人旅|デジタルデトックスという最高に贅沢な余白をつくる
気づけばずっと何かをしている。仕事の連絡、終わらないタスク、SNS、ニュース。携帯を開けば謎に1時間も経っている。
いつからだろう。旅にまで意味や成果を求めるようになったのは。せっかくなら有名な場所へ。どうせなら映える写真を。
時間がもったいないから予定は隙間なく。
気づけば、休むためのはずの時間にまで、どこか忙しい。だからこそ思う。疲れた大人に必要なのは、何かを得る旅じゃない。豪華な観光でもない。
何もしない一人旅である。
予定も、目的も、学びもいらない。いや、それすらも流れるように。ただ、自分だけの時間を持つこと。
空白の時間。
それは、大人にとって1番難しい選択である。
これは現実逃避ではない。社会に対する小さな抵抗である。要するに、大人やるのもちょっと疲れたということだ。

何もしない一人旅という贅沢
何もしない一人旅の贅沢とは、自分をこれ以上、消費しない時間を持つことだ。「何もしない一人旅」と聞くと、どこか物足りなく感じるかもしれない。
せっかくの休み。
せっかくの旅。
何かを見て、何かを体験して、何かを持ち帰らなければいけない気がする。ついでにSNSにも載せたりして。でも、疲れた大人に必要なのは、これ以上、自分の時間を奪われないことだったりする。
朝、目が覚める。スマホを見ずに、ただ天井を眺める。知らない町を、目的もなく歩く。疲れたらカフェに入る。
それだけ。
観光地に行かなくてもいい。特別な体験がなくてもいい。誰かに報告する写真がなくてもいい。「何したの?」と聞かれたら、「特に何も」と答える。
その選択は、少しだけ勇気がいる。でも、その空白の中でしか戻ってこない感覚がある。風の音や、静けさのような、社会の基準とは関係のない感覚。帰る頃、劇的に人生が変わるわけではない。口座はむしろ減っている。けれど、それこそが疲れた大人にとっての、いちばん静かで、いちばんの贅沢なのだ。

デジタルデトックスという、最高に贅沢な余白
何もしない一人旅は、必然的にデジタルデトックスを伴う。スマホを機内モードにする。通知を切る。スクロールしない夜を過ごす。
最初は落ち着かない。
Wi-Fiのない場所では地図を見るか、写真を撮るか、機能の大半を封印した状態の携帯。スマホに依存していることに気がつくのだ。それは普段、常に何かとの比較の中で生きているという証拠でもある。しかし、人間は慣れる生き物だ。携帯、使えなきゃ使えないで、まぁいいかとなってくる。
デジタルデトックスの本質はスマホを断つことではない。とにかく多くの情報は、それほど重要ではないと分かることだ。知らなきゃ知らないでもいいのである。

画面の向こうと距離を取ると、世界は驚くほど静かになる。
観光地を巡らなくていい。グルメを制覇しなくていい。映える写真を撮らなくていい。そこにあるのは、ただの空腹や、見知らぬ町の匂い。あまりにも原始的で、あまりにも個人的な感覚。
タイパ?ノンノンノン。ローカルな食堂で、名前も知らない料理を、ただ食べる。
チャカつかない、大人の余裕見せつけたい。
何もしない。
それは、疲れた大人の為の、自分を取り戻す静かな余白なのだから。
