『ADHD・内向型の生存戦略。タイパ社会に疲れたら、タイ一人旅で見つけた「逃げ場」』

1日の情報量、今やその多さは大気圏を突破する勢いである。何かをしながら、常に次を追い求める。心ここにあらずは、星の屑ほどに儚いのが常である。

我らが自由を要求して何度踏みにじられたか。我らは襟を正し、この戦局を打開しなければならぬ。さかしいだけの社会が。奴等は強大である。にも関わらず戦い続けてこれたのは、ひとえに諸君らの頑張りによるものだ。

効率という名の虚像に踊らされ「タイパ」などという浅ましい言葉で。そのシステム自体が、我々の精神性を収めるにはあまりに矮小。

タイパ、コスパ、最短、正論。…それではダメ。その先に何がある?そんな軟弱な思想ではもう辻褄が合わないところまできている。無駄……圧倒的無駄…。あえて逆の心理をつく。入れる。少年スイッチ。

そこで今、我々は"アンチタイムパフォーマンス"の旗を掲げ敵に一矢報いるのである。ともに戦おう。

国民よ!悲しみを怒りにかえて、立てよ!国民!

ジーク・ジオン

おっと、俺の中のやらせはせんぞが出てきてしまった。ところで、ここはひとつカウンターカルチャーとしての旅を正式に薦めたいのである。

「来るか、ヒッピームーブメント」

かつて、ヒッピー(Hippie)は旧来の価値観と対抗し、自然との調和を重視した。第一世代から受け継がれた思想は現代でも、世界のどこかで息をしている。

社会との距離にバランスを見つけ、次世代のネオヒッピーと呼ばれる人達もいるという。呼び方はどうあれ、俺はまたヒッピームーブメント的な何かが起きるような気がしている。

勝手にしているだけではあるが、考えてみてほしい。

レールを外れ、束の間の自由を手に入れるにも、まるで一大決心のようである。本来、我らの居心地の良い暮らしというのは、空白の時間が日常に散りばめられているかどうかである。そんなような事でもってバランスが取れる。漠然とした将来の不安を煽られ、世界は相変わらずイケイケで危ない。旧来の価値観と対抗して、カウンターカルチャーはこんな時代にこそ起こるのではないだろうか。

そう、いつの時代でも人生を歩く事は未知なのだ。魂を重力に引かれ、コスパだのタイパだのを持ち込む必要がどこにあるというのだ。

「私達は歴史の立会人にすぎん」

多くの人はレールから外れる事を一生が左右する一大事と考えている。命懸けの決断だと。でも実際にはどうだろう。世界とのバランスをみて、最大限の自由を手に入れる。社会に疲れたら、ひとり旅。実際にドロップアウトすると驚くほど呆気ない。常識はそこまで常識でもないし、そんな時代もあったねと笑って話せるんじゃないか?

全てを捨てる必要はない。現代のヒッピー的サバイバル術。

逃げ道を増やす。

これは敗北を意味するのか?否、始まりなのだ。

「ADHD、内向型が『逃げ場』を増やす。アンチタイムパフォーマンス、語学と旅」

そういえば英語の勉強を初めた頃、しばらくは急かせれているような心持ちだった。

始めたのは2021年からだったはずだ。少しでも、と英語に触れるようにした。

それからは"本能のめんどくさがりVS鉄の自己規律"の戦いである。当時、鉄の自己規律は期待のルーキー。勝者のメンタリティを育む必要があった。「それはやがて黄金の精神となるのだ!」と思いたい毎日に、成長しているか分からないほどの小さな一歩。

始めた頃に比べれば、ふむふむと言ったところだろう。今は知らない単語をLINEにメモするくらいだ。

今はもう完全にタイ語。始めて半年ほどである。

そりゃあ半年前と比べたら成長はしているが、語学の習得には時間がかかる。俺は語学の成長スピードは、人間が言葉を使い始める時と、だいたい同じであるような気がしている。5年勉強すれば5歳児くらい。個人差はあっても、小さな子供くらいの感じでは言葉を使えるようになるのではないだろうか。

5歳児代表といえば、野原しんのすけである。

おぉ…なかなかレベルが高いか…。

なんにせよ外国語を覚えるということは、時間がかかるという事である。

ガキの頃、単語をノートに書いて、机に向かって、毎日。そんな事はしたことが無いように思える。そんな記憶は無い。それよりも、机に向かうと知恵熱が出るタイプだった。原因不明の体調不良。もしくは急激な睡魔。

邪王炎殺黒龍波を撃ったあとの飛影のように。

言葉の勉強は世界が広がる。健気にやっていれば数年後、わかりやすく成長を感じられる。それは究極最大脱出呪文になりえる。なにより、より気軽にいつでも逃れるしなと思うと気が楽である。

俺は21歳の時にワーキングホリデーに行ったが早々に英語を挫折している。2ヶ月くらいで難し過ぎると現実逃避。思い返せば、数えきれないほどそんなような事がある。

…やれやれだぜ。

仕方がないとはこのことである。旅と、散歩と、本読むくらいか、ずっと好きなのは。お爺さんのような趣味だ。ガハハハハ。打って変わって、小さい頃「あなたはちょっと落ち着きがなさすぎますね」と言われ、薬を飲まされていた時期がある。今思えば子供が落ち着いてどうするのだ、とも思う。

品の良さそうなおじ様、ユング先生言うには、人の意識は氷山の一角にすぎないのだそうだ。本人も気づかない所で説明不能の叡智が眠っている。社会はうるさい。正論だの、効率だの、タイパだの、普通だのを、ひっきりなしに、これでもかと投げてくる。

そんな状況下では、何も聞こえなくなってしまう。

これはキャラクターの違いであって皆んなそれぞれ個性があるわけだが、内向型は内なる精神を旅することで、心の力が満たされるという事らしい。こういう特徴を持つ人間は、人生に深く意味を求める。大事なことは何をどう手に入れるかではなく、どんな気持ちを感じたいか。と言った松陰先生。スナフキン先生は「The main thing in life is to know your own mind 」と。先生達が同じような事を言っているのだからそういう事なのだろう。

「旅は終わっても思い出は残る」

旅が全てを救うわけではない。でも「社会に疲れた」「今の生き方が合わない」と感じている人には、意外なほど相性がいいと思う。旅は、いつか終わる。飛行機は着陸して、洗濯物は溜まり、また同じ道を歩くことになる。それでも不思議なことに、何かは確実に残る。写真よりも、思い出話よりも、もっと曖昧で、もっと強い何か。

自分が思っていたよりも、この世界は雑で、優しくて、適当だという事実とか。帰ってきたときに気づく。「あれ? 意外と大丈夫だったな」って。

レールから外れることは、思っているほど大事件じゃない。

少なくとも、世界は何も気にしていない。みんなそれぞれ、自分の人生で手一杯だ。だからもし今、「社会が合わない」「この生き方、向いてないかもしれない」そう思っているなら。ただ一度、距離を取ってみればいい。タイでも、どこでもいい。一人で。歴史の立会人として、このカオスな時代を面白がって歩く。自分のペースで。

なんとかなりそうな気がしてくる。ならなくても、それはそれで面白いじゃないか。そんなふうに納得できたら、その心の持ちようが旅を通じて得たものだとしたら、旅はなかなか良いものだ。

「旅はまだまだ続く~」

ちょい!フォローしとけば?