バンコクローカルエリアで出会うサクヤン|ワットバンプラの系譜を継ぐアチャーン・エーを訪ねて
タイ語でサクヤンは「สักยันต์」と書く。ふと、今年も終わるし自分へのご褒美でもと思い立った俺。GoogleMapsでタイ語検索するといくつかの場所がヒットした。思いのほか多く、アユタヤの修行場のようなコミュニティや、見た目がルーシー(仙人)のような人、逆に先生のような人もいる。多くの場所にピンを付けた。中でも、家から遠くない場所にたまたま見つけたアチャーン・エー氏の仕事場は サクヤンで有名なお寺、ワットバンプラの系譜だった。
これは不思議な縁を感じる。
ワットバンプラとは、サクヤンの祖ルアンポープン師のいるお寺で世界的に有名。そして唯一無二である。ルアンポープン師は二千二年に亡くなっているが、サクヤンは弟子たちに継承され、そのまた弟子達へ受け継がれている。
何故、ワットバンプラの系譜だと分かるのかと言えば、シグネチャーの虎の絵である。ユニークでかわいい。この絵を見れば、ワットバンプラはルアンポープン師の系譜だと分かるのだ。

さて、看板を見ていこう。
【สำนักสักยันต์ อาจารย์เอ้ สาธุฯ】
サクヤン、アチャーン・エー。ルアンポープンの弟子と書かれている。ここはワットドークマイ(วัดดอกไม้)という寺の近くでローカルエリアだ。アクセスはバス、またはグラブタクシーも良いだろう。バス停からバイクタクシーも便利だと思う。検索する場合は上のタイ語をコピペするといい。

アチャーン・エー氏は昔、事故にあい四日間生死の境を彷徨ったという。彼の母親はワットバンプラで「息子を救って下さい」と祈った。彼は奇跡的に目を覚ますことになるのだが、そこで何故かサクヤンの文字などが理解できるようになっていたと言う。これも何かの縁なのか、ワットバンプラでの修行をマスターの元で積み、正式にアチャーンとしての道を歩くことになる。ストーリーをギュッとして今に至り、俺は彼の話を聞いている。



行く前に電話を一本入れただけで予約もせずに、ローカルでもない一見さんの日本人で奇妙に思ったのか、アチャーンはとても良くしてくれた。「ボーナス!」と言ってサクヤンは追加で文字が足され、プラクルアン(お守り)やTシャツをくれた。サクヤンはというと、始まると急な大雨、なんだ?なんだ?祝福か?そして最後には、ナイフで背中と首を切られるという儀式だった。もちろん、刃は本当に切れないようになっている。とはいえ、痛いことに変わりはない。目を手で隠されてから首にナイフを当てられている為ナイフで切られたんだと知ったのは儀式が終わってからだった。お坊さんやアチャーン、人によって儀式は独自性がある。死を感じる儀式は初めてだった。アチャーン・エー氏のインタビュー動画がYouTubeにあるので気になったら見てみるのも良い。英語などの訳があるかは分からないが、アチャーンの雰囲気を多少感じ取れるだろう。
サクヤンとは、ヤントラと呼ばれる図などを体に刻み、儀式とセットで行われるタイの伝統的な呪術であり、簡単に言うと御守りや護符のような物である
サクヤンについて、人から聞かれることが度々あるが、俺も勉強中であり、解釈のずれもあるだろう。あなたがもし、人生の中で経験したい体験だと思うなら、知っていることは共有できる。俺はこの神秘的な行いにとても興味を持っている。縁があれば、また違うサクヤン場での体験もお届けできるだろう。



サクヤンはお坊さんやアチャーンと呼ばれるその道の人にしか彫ることはできない
サクヤンを持つ人は良い人を心がけなければいけない。サクヤンはファッションで授かるものではないとここで強く言っておきたい。
目に見えない力は存在しないという事ではないのだから。

「旅はまだまだ続く~」

かわいいルーシーを描いてみよう。
ฤๅษีเดินดง(ルーシー・ドゥーン・ドン)=“密林を歩き修行を続ける行者”
→ 守護・開運・遠方への旅の加護・悪霊よけ・自然霊との調和の象徴。サクヤンのデザインにも使われている。
ルーシー(仙人)
起源は紀元前、遥か昔インドのRishi(リシ)と呼ばれる伝説上の聖仙達。深い瞑想を通じて宇宙の真理を聞く者である。第三の目を開眼させたルーシー・ターファイやポーゲーと呼ばれる偉大なる師、多くのルーシーがいる。
ルーシーは芸術や、ありとあらゆる知識、智慧の源流、師を象徴する概念である。

