バンコク街角ダイアリーズ|フーテンはタイ語を学んで暮らす
窓から入る南国の日差しが部屋を明るく照らしている。「寝みぃ…」大体いつも、同じくらいの時間で起きるようにしている。自分の体に合った、生活リズムってやつがあるじゃない?「働いていもいない奴が何言ってんだよ!」というお言葉、お察しします。しかーし、俺もタイ語学校に行き始めて、2週間目が始まろうとしているのだ。もののけ姫の乙事主様くらい目ヤニのついた顔を洗い、ブルルルルッッと顔を振り、うむ、と朝の準備をする。
タイ文字に触れよう
タイ語といえば、タイ好きで、タイを旅する奴であっても、挨拶と、いくつかの言葉を知っている程度だろう。馴染みがない言語である。俺ら世代でいえば、ムエタイの伝説、ブアカーオの名前が上がれば良い方。もしくはサガット?「アィガー」ってされちゃう前に、初めに覚えたタイ文字を紹介したい。ゴーガイ「ก」 。ヨーヤック「ย」。ソールーシー「ษ」。この三つ、俺にとって印象深く、始まりの三言葉としたい。タイ文字表の中で、それぞれの文字に絵が振り分けられている。ゴーガイはニワトリ。ヨーヤックは巨人。スワンナプーム空港に鎮座する巨大な鬼の像がそれだ。ソールーシーは仙人、寺などで見たことがある人も多いのではないだろうか。そんな言語を正式にゼロから学び始めたのだ。勉強しては忘れ、少し覚えてはまた忘れ、CNから新しい事を学ぶのもまた乙である。CNとは「中年」の事。わたくし、ズバリ今年で38歳になります。いつまでもふらふらと旅をするフーテンの日々、反省してもしきれない、もう、開き直らなきゃやっていけないような気さえします。
それでも、40歳くらいにまでに3言語、なんとなくで話せるようになっちゃったりして、クククククッ、そしたら1人で(通訳無しで)サクヤンの儀式を受けて、お寺に出家体験もできるし、妄想は広がるばかりで、より一層の反省を胸に、生きていかなくてはいけないのだろうな、と思う次第です。
パッシーユとパッタイは違うのだよ
困ったもんで、それでも人間腹は減る。昼飯はローカル食堂でサクッと済ませた。「パッシーユ」タイ風やきそばをセンヤイという平たいデカ麺で、卓のチリビネガーをかけて食べると美味いんよ。こんな時にも携帯ってのは便利なもんで、タイ語で酸っぱい、サワー(sour)は「prîao」ほうほう、プリアオ、プリアオ、プリは巻き舌か、と調べれば出てくるのだ。良い時代ですな。




そして学校が終われば、街は帰宅ラッシュの時間帯。祭り後のように、とても混む。もうほとんどバンコク名物と言っていい。満員のバスに揺られながら帰るのだ。「運転手!もっと冷房強めてくれっ!!」と心の中で叫んだ。俺も暮らしにまみれ、旅行者から住人へと、一歩一歩と変わっていくのだと思うと、なんだか特別な感じもする。さて、明日はどんな一日になるだろう。
「旅はまだまだ続く〜」