Wat Bang Phra Wai Kru Festival 2026[仏暦2569]
ワイクルー(Wai Kru)は、サクヤンの聖地、Wat Bang Phraで毎年開催される師への感謝を表す祭りである。サクヤンを授かった信者達が集まり祈りを捧げるのだ。Wai(合掌)Kru(師・先生)という意味である。
サクヤン(SakYant)とは、Sak(墨を彫ること)Yant(ヤントラ)。魔法が宿る図形は護符のように、守護などの効果がある。信者はワイクルーの祈りの中でトランス状態に入る事がある。それは刻まれたサクヤンを通じて、超自然的力が降りてくると信じられている。
Wai Kru Festival at Wat Bang Phra is the annual gathering of Sak Yant believers who come to pay respect to their masters.
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5:30am。ワットバンプラ正門の前、サクヤンが施されたセブンイレブンの自動ドアがスライドして開いた。
サクヤンを施された人が何人かレジに並んでいた。
ワットバンプラ ワイクルー2026[Wai Kru Festival]
2026年3月7日、土曜日。空はまだ暗い。しかし、すでに多くの人が、車が、寺の周りを賑やかにしている。周辺一帯はナイトマーケットのように、ネオンライトでデコレーションされ、お祭り気分である。
セブンイレブン前ではムーピン(焼き豚串)の屋台、焼き台からは煙が上っている。店番をしている小学生くらいの子は、携帯で動画を見ながらムーピンを口いっぱい頬張っていた。隣のクイッティアオ屋もオープンしている。注文する4人組の兄さん達、その中の2人は頭までびっしりとサクヤンが刻まれている。正門の横には焼き鳥の屋台、数人が並んでいる。ワットバンプラのスピーカーからは常時アナウンスが流れている。
こんな朝早くから食欲があるわけではなく、セブンイレブンで買ったビタミンCジュースを一気に飲んだ。
朝方は涼しく過ごしやすかった。丁度いい気温である。お寺の中も人人人。記念Tシャツやお守りが並び、屋台飯、アイスや甘い物まで。タイの寺で行われる祭りには、日本とは決定的に違う事がある。
それは寺内の飯や飲み物が基本的に無料で振舞われているという事だ。
なんと優しい。
地元の人達や信者が、大鍋でジャッジャッジャッとガパオを作っていたり、カイジャーオ(タイオムレツ)やカノムジーン、長卓に色んな飯が並ぶのだ。
俺は餅みたいなのを頂いた。
中華っぽい感じで美味かった。せっかくだから色々と試してはみたいものの、早起きが過ぎるのと朝という事もあり、内臓が全くもって寝た状態だった。悲しいけど食欲がないのよね。
クーラーボックスに氷と水を入れ、キンキンに冷えたペットボトルの水が各所に配置されている。備えている。これは助かる。1番助かると言っていいだろう。2回ほど軽い熱中症になってからというもの、俺はタイの暑さを恐れている。おかげさまで、水飲み過ぎてトイレに何度も何度も行ってしまった。
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本堂では入り口を入ると右手に御供物カウンターがあり、60バーツを払って金の皿を受け取る。タイ仏教でよく使われる金の皿はパーン(พาน)と呼ばれ、お供え物をする時になど、日常的に寺でお見かけする。
皿にはハスのつぼみ、線香、金箔、封筒がセットになっている。
封筒には奉納金を入れるのだ。指定金額は無く、お気持ちで。
左手に座り、列に並ぶ1人1人にマントラを唱えるワットバンプラで1番偉いお坊さん。住職っていうのかな?途中、住職のトイレ休憩を挟み、列はテンポよく進んでいく。どうやってるのかな?なんて流れを見つつ、自分の番。付き人のお手伝いさん役に、おでこと舌に金箔を貼ってもらう。先ほどの御供物を頭に掲げてから手を合わせる。住職は棒を俺の額に当てた。こもった低い声、マントラが唱えられた。
横にずれ、3回頭を下げた。タイ式の礼、参拝方法は合掌、頭を下げる、合掌、頭を下げると3回繰り返す。
マントラの前、俺は住職から「前へ。前へ。」と2回言われたが聞き取れず、付き人の方にジャスチャーで「もっと前えに」と教えてもらった。もっとスムーズにやりたがったが仕方がない。
とはいえ、なにか良いことがありそうだ。
中央、お供え物の奥には棺があり、サクヤンの祖にして伝説的な僧侶、ルアンポープン師のご遺体が肉身佛(にくしんぶつ)として安置されている。手前には忠実に再現された僧侶の像が座禅の姿勢で、優しい顔で微笑んでいる。
1番並んでいたのは、ルーシーと呼ばれるタイの仙人のマスクを被せてマントラを唱える場だった。正式には「クロープ・シアン・クルー(Khrop Sian Khru)」と呼ばれる。タイ語の発音は難しくてカタカタ表記には合わないが、それは守護と祝福、仙人の智慧や力を直接信者に受け渡す儀式である。今、世界一の行列というくらい並んでいたのでパスせざるを得なかった。遠目から写真をパシャリ。ん~望遠が欲しい。

ワイクルーでは各方面からサクヤンマスターや僧侶、先生が来る。
いくつかある部屋やスペースでは今まさに、サクヤンを授かっている人、授かりたい人が周りを囲んでいる。大きなカメラのシャッターを切るカメラマン。ミステリアスな光景である。廊下では飯を食う人、横になり寝てる人もいてタイらしい。自由な雰囲気もある。アチャーンガイは前回来た時に挨拶したので「サワディーカップ」と言いたがったが、忙しそう。部屋の中は満席状態だったので外から部屋を覗き込んだだけだった。
それにしてもユニークで唯一無二、ここまで多くの人がサクヤンを体に刻む光景はここでしか見ることはできないだろう。

せっかくだからと、お守り屋さんで俺はルーシー(仙人)のプラクルアン(タイのお守り)を手に入れた。
ルーシー(仙人)
起源は紀元前、遥か昔インドのRishi(リシ)と呼ばれる伝説上の聖仙達。深い瞑想を通じて宇宙の真理を聞く者である。第三の目を開眼させたルーシー・ターファイやポーゲーと呼ばれる偉大なる師、多くのルーシーがいる。ルーシーは芸術や、ありとあらゆる知識、智慧の源流、師を象徴する概念である。アーティストは勿論、旅人が持つお守りとしても良い。
最近描いたルーシーの絵を下に貼りつけておこう。えへへ。

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気付けば空は明るくなっていた。寺のスピーカーからは絶えずルアンポープン師の情報やガイダンスが流れている。それは広場の壇上にいる進行役の人が話している。
何か力が降りてきてトランス状態に入りそうな人は、広場にぐるっと張られた白い糸の結界から出ないでください。戻って来れなくなると危ないですよ。なんて説明もあったらしい。
俺は聞き取れないので全部は後から聞いた情報である。
今回、RoninSakYantのチームでワイクルーに来た。視察ってやつだ。寺内には救急車両やお巡りさん、多くのセキュリティーもいて実際に来ると、安全に行われている事が分かる。


9:00
僧侶たちが壇上に上がる。
ワイクルー。
お経が始まる。
人で埋め尽くされた広場、人々の熱気で体がほてる。あつい。寺内、空までお経が響く。熱狂的な信者がトランス状態へ入る。
女性の悲鳴が聞こえる。
「ワッハッハッハッハ」と大きな笑い声も。
何が降りてきたんだ?勉強不足で細かくは分からないが、持っているサクヤンの図柄によってアクションは違う。虎やハヌマーンは激しい。そして分かりやすい。「キキキキキー」と猿の声を出し手を叩く。壇上の方へ走り出す。セキュリティーは信者を落ち着かせる。ルーシーが憑依した場合、杖をつく仕草でゆっくりと歩く。これは近くにいても安全である。途中、無の時間があった。そこで熱狂的な信者達はピークを迎え、そして落ち着きをとりもどす。約30分ほどだろうか、お経が終わり、結界の糸は下され取り払われる。
僧侶達が壇上から水を撒きはじめる。
2026年のワイクルーが終わった。

1番後ろにいた俺らは壇上の方まで歩き、僧侶から水を振ってもらった。ワイクルーには多くのカメラマンやコンテンツクリエイターが来ていて写真や動画はすぐにネットへ流れる。マニアックな外国人、もちろん俺もその中の1人なわけだが、そんなサクヤンを背負う外国人も多い。ネットに流れる映像は激しめだが、家族連れ、若い子達もいるし、映像ほど激しく危険な匂いのするお祭りではない。
奇祭ではあるが平和である。
ここで第一陣、帰宅ラッシュで車が混む。まだまだ多くの人達が寺に残り、各々の時間を過ごしている。屋台もやってるしね。俺らは帰宅組。カフェか飯屋にでも、とどこかへ。休憩がてらゆっくりすることに。もう日が登ると外いれないくらい暑いからな。


車の中はサウナ状態。クーラーを全開にしてノロノロとなんとか駐車場から抜け出せた。
太陽がきらりと光った。一段と日差しが強くなる。
んん~、何か良いことあるかもな~。
「旅はまだまだ続く」
あとがき
ワイクルーフェスティバルとは師を拝むお祭りである。海外ではサクヤンフェスティバル(sakyant festival)なんて呼ばれ方もする。その奇祭っぷりは動画で切り取られ、世界的に有名。マニアックな世界である。信者にサクヤンの力が憑依する時、それはユニークな光景で危険な香りが漂う。映像や写真で見ると尚更で、この光景もワイクルーの一部ではある。だが今回、俺はもっと別の視点でワイクルーを見ていた。例えば料理を振舞う人だったり。お布施を求めカップを置き、手を合わせるおばちゃんだったり。家族で来てる人、子供達は木陰で寝ていたり。寺を歩く猫や犬。信者の奇声に驚く若い子。写真や動画で切り取られないワイクルーの光景である。本文でも書いたが、この祭りは奇祭、だが平和なのだ。アンダーグラウンド感もあるが、実際に来てみると全員が全員トランス状態へ入る訳ではない。むしろ多くはないのである。そしてトランス状態へ入った人は、落ち着くと手を合わせる。見ていると多少周りにも配慮している。
サクヤンの基本的な考えとして、サクヤンを授かったら後の暮らしにおいて、良い人間であることが求められる。道徳的な行いが求められる。ワットバンプラでは全ての人間にオープンだ。だが、それは「良い行いを心がけよう」という教えでもある。優しさや、平和への種を撒くように。ワットバンプラの周りにはルアンポープンの名前がついた橋や学校、病院がある。俺は今回の旅で暮らしに根づく信仰と、その距離の近さを改めて感じた。タイの文化はこれからも、次の世代へと受け継がれて欲しい。日常に溶け込むライフスタイルそのものとして。


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