タイの呪術とサクヤン寺|制約と誓約|精霊信仰アニミズム
「 ワットバンプラ」
もう少し、もう少しと、朝の気配がそこまできている。
バンコク郊外の寺、ワットバンプラのずいぶんと手前から、軽快なタイ語がスピーカーを通して聞こえていた。辺りはまだ暗く、寺周りの道から、寺の中まで、ネオンが光る。派手に、そして近隣住民を巻き込んで、祭りは奇妙な熱気を帯びていた。
それにしても、屋台もあるし、飯食える場所も多いし、これ全部無料ってほんと?
なんということでしょう。
"寺の敷地内"で出店していると思われた屋台、さらに飲み物やお菓子にいたるまで、食べ物は全て無料なのだそうだ。それは地元住民などが持ち寄ったり、寺を支援したい人だったり、何かしらの「ありがとう」だったりと、そらぁ、極楽にきてしまったのでしょうか?と。最初は「またまた〜!冗談でしょう?」と思ったほどだ。ただ、朝すぎて腹が空かないのが悔やまれる。腹よ、減ってくれ!タイの寺祭りは、どこでもこんな感じらしい。天晴れ仏教国。


美味そうな飯に紛れて、今日のお供え物?長卓には豚の顔が並んでいる。ボロいプラスチックの椅子には、守り人の子供が退屈そうに座っている。そのすぐ後ろには太った犬が二匹寝ていた。暑いんだろうな。扇風機の風を体全身で浴びていた。人混みを避け、川沿いへ行くと、何故かスッパマン像が置いてあった。流石世界の鳥山明。にしても、これって一番寺にそぐわないバカなキャラクターだよな。あ、反面教師ってこと?考えすぎか?

空はかすかに明るく、川を照らしはじめていた。魚に餌をあげる人や、のんびりとくつろぐ人、平和な時間が流れている。この祭りはワイクルーフェスティバルと呼ばれている。「(ワイ)合掌 (クルー)先生・師」という意味を持つ。人生の師匠、寺の僧侶達に感謝をしよう。そして全ての感謝すべき対象へ、俺は祭りの意味に「和の心」を感じている。心の中に、ありがとうを持とう。そういう事に違いない。お経が響く、皆で祈りを捧げる。この時ばかりは、しばし奇天烈。マニアックな行事としても、世界的に知られている由縁。祈りからトランス状態に入る信者達が、サクヤンの図柄から霊力を得るのだ。雄叫びをあげ、ハヌマーンや虎が走り出す。憑依合体。という言葉が正しいのかは分からない。この異様さは、メディアに取り上げられ、奇祭として有名であるが、その実、平和な雰囲気の祭りである。ちなみに憑依合体、仙人は動きがおそく、杖をついている。これなら急に動いて怪我をすることもないだろう。仙人はルーシーと呼ばれ、アニミズムに精通する。古代土着の精霊信仰は深く暮らしに根付いているのだ。俺はカノムトーキョー(屋台菓子)を食べ、記念にサクヤンTシャツも買った。物持ち良く、いまだに着ている。

【もう亡くなってはいるが、ワットバンプラはサクヤンの祖、ルアンポープンがいた寺で伝統は弟子達に受け継がれている。彼はサクヤンの象徴で、また瞑想の僧としても伝説である。※本物のサクヤンは、僧侶や、アチャーンと呼ばれる先生、その道の人にしか彫ることはできない】
「サクヤン」
俺はこれまでに四回、サクヤンの儀式を受けた。サクヤンには戒律がある。「嘘をつかない」や「盗みをしない」などなど。サクヤンを持つ人間は良い人を心がけなければいけない。しかし、人生はうまくいかない事もあり、自分を律するのは大変である。余計な一言を言ってしまったり、深酒に愚痴。日々の行いから時としてサクヤンの効力は弱まっていく。そうなると反省の毎日である。考えたくない。それで言うとワイクルーフェスティバル。サクヤンに再度、力を補充する効果もあるという。
初めての"サクヤン"は二千二十二年だった。随分と久しぶりの旅で、「せっかくバンコクに行くんだ!」と念願だったサクヤンの儀式を受ける為に、日本からメールでのやり取りをし、前金を払い、通訳も付け、旅の最後に予約を取ったのが始まりだった。意外と現代的だろ?
『Arjan Neng Sak Yant Tattoo』最寄りはオンヌット 、またはバンチャック駅になるだろう。
ーー仏像に囲まれた小さな部屋は妖しかった。静かで、呪術的。アチャーンと呼ばれる先生の雰囲気は優しく、緊張が少し和らいだのを覚えている。いくつかの問答の中で、図柄を決め、儀式は始まる。
呪文を唱えながら、トントントントンと針を突くアチャーンの息遣い。補助の人が俺の背中の皮膚を伸ばす。俺は目を瞑り、願い事を心で呟く。痛み、背中が熱く、じんわりとかく汗。頭の中の声は大きく、たまに入る雑念、なんか良いことありそう…など巡る思考。カタと呼ばれる呪文、祈り…そして調和、タイの伝統と超自然的力の中で、不思議で、神秘的な体験だった。

二度目は翌年、 ワットバンプラだった。せっかくだからと、さらに次の年にはワイクルーフェスティバルにも行ってみた。アチャーンネン氏には再度、その時に気がついたのだけれど、アチャーンの部屋にはルアンポープンの肖像画が飾られていた。タイに長く住めるようになれば、祭りでなにか…飯でも振る舞わないといけないなよな、と心の中で思っている。日本人の差し入れといえば、おにぎり?
「暮らしの中で」
サクヤンの儀式を受けてから、暮らしの中にも変化を感じている。礼儀正しく、紳士に、なるべくそうありたい。そいえば…スピリットハウスの前を通れば自然と頭を下げてしまう。タイ人のようにね。思っている以上にタイ人はお願いをする。健康や豊かさ、人間らしく、そして正直に。寺で、スピリットハウスで。身近だもんな、そりゃトランス状態入る人もいるわな。そんな俺も、思うのはタイで宝くじでも当たらないかな〜。とか。長くタイに住めますように、とか。そういう事だったりする。宝くじに関しては買ってもいないのだが、都合の良いように「なにか良いこと起きないかな~」と思う毎日だ。今がその「良い事」だったりするのだから人間の欲は罪深い。二〇二五年、九月。バンコクに来て三ヶ月が経ち、せっせとタイ語を学んでいる。タイ語が話せるようになったら…ムフフッ、世界は広がるに違いない。ますますとタイが大好きだ。

ハンターハンターの「制約と誓約」のように、「行動と心」に連動するサクヤン。目に見えない力は念となって良くも悪くも働くだろう。ゆくゆくは俺だって、立派な人間になりたいと思っている。良い行いを心がけよう。全てはつながっているのだから。
あとがき


読んでくれてありがとうございます。サクヤンとは、呪術であり、儀式とセットで行われるのが一番の特徴です。仏教やバラモン教、ヒンドゥー教やアニミズムの影響を受け、ヤントラと呼ばれる魔法の言葉や図形、古代文字などが使われているといいます。 ワットバンプラのルアンピーナン(luang pi nunn)は特別に調合したインクを使い、蛇の血が入っているとか。サクヤンは布製のお守りになっていたり、オイルでの施術があったりと、また違った恩恵の受けかたもあります。タイの文化は面白い。俺の興味も、まだまだ尽きなそうだ。
※アニミズム、それは自然界との共存や調和、万物に霊が宿るという思想であり、タイでは古くから精霊信仰を文化に持ちます。
「旅はまだまだ続く~」
