暮らすようにタイを旅して|Travel Thailand Like a Local

「年の瀬に」
今年も年の瀬がやってきました。
2025年は6月8日にドンムアン空港に降り、数日バンコクでくつろいでもって、心身がゆったりとすると南部へ旅に出ました。ハートヤイ国際空港 (ท่าอากาศยานนานาชาติหาดใหญ่)までは飛行機で、そこから2~3日毎に町を変え、バンコクの方へ北上していくわけです。
パッタルン (พัทลุง)、トラン(Trang)、クラビー (กระบี่)バスやロットゥーに揺られ、気楽な一人旅でございます。
静かで穴場のビーチタウン、プラチュワップキーリーカン(ประจวบคีรีขันธ์)は居心地良くて好いちゃったな。
バンコクに戻ってからはタイ語学校に通い、つい先週から中級コースが始まりました。タイ語の勉強はすでに3ヶ月が過ぎ、基礎の基礎はあらかた学んだと言っていいでしょう。もう、本当にあっという間で、タイに来てから6ヶ月が経つんだなぁと、そんなことを考えています。
始まりはタイ
初めてのタイは2009年だった。初めてのカオサンロード、そしてパンガン島、フルムーンパーティー。バックパックを担ぎ、ヒッピーハッピーよろしく、さすらいの風が吹いていた。
微笑みの国を歩き、リピートすること2回。そこからはだいぶ時が経つのだが、2022年、約8年ぶりの旅はマリファナの合法化したタイ。
「バンコクよ!私は帰ってきた!」
とはしゃいでしまった。この国とは奇妙な縁を感じている。新しく、行ったことのない国を選びたくもなりそうなものだが、結局いつも戻ってくるのはタイだったのだ。前世はタイで暮らしていたかもしれないよな。久しぶりの旅でタガの外れた俺は、そこから23年、24年、日本とタイを行ったり来たり。そして、2025年現在、バンコクに暮らしタイ語学校に通っている。ガキの頃に診断されたADHDは開き直った今、ようやくプラスに働いているような気がしている。興味が無いと何も覚えられない俺も、のめり込んだら猪の如く一直線。周りが見えなくなるタイプ。たまに発揮する超集中はタイ語の勉強とブログにうまく向いていた?のかもしれない。
ともかく、この環境はラッキーである。
「オラ、ワクワクすっぞ!!」と、悟空なら間違いなく出る一言。

ところで、こういう時期になると旅先だろうが、暮らしていようが、なぜか一度、立ち止まってしまうものでして。タイでの旅を思い返し、写真なんかを見ていますと、俺っていくつの県に行ったことがあるのだろうと。
タイには首都バンコクを含めて1都76県あるという。
ひとつ、ふたつと数えていくと、俺が行ったことあるのは22県だった。「まだ半分も行ってなかったんだ」と驚いた。同時に「まだまだ楽しめるじゃん!」と嬉しくもある。タイに夢中も来年は5年目。ここはひとつ、今までの旅を思い返し、つらつらと書いてみることにしました。
「暮らすように旅をして」
バンコクはラートクラバーン区。フアタケーオールドマーケットは小さな川沿いに、古い木造の家が並ぶローカルエリアだった。スワンナプーム空港からは車で15分ぐらいの位置にある。「これが今年の旅納めかな~」学校の休みを縫っての一泊旅行は「Si Yaek Huatakhe Cafe & Guesthouse สี่แยกหัวตะเข้คาเฟ่ แอนด์เกสต์เฮ้าส์」へ。実はここ、猫とボートに乗れると今話題?猫好きに嬉しいアクティビティで訪れた人々に最高の癒しを与えている。一階がカフェ、2階はゲストハウスになっていてアットホームでいい雰囲気、部屋には猫用の出入り口がある。運が良ければ猫が遊びに来るのだ。一泊すると、「猫とボート」のサービスは込み込みで、12月の涼しい時期にもってこいの場所である。最近のバンコクの気温は日中で30℃くらい。夜はもう少し涼しくなる。「30℃ならそこまで暑くないかぁ〜」と思えてくるから慣れとは怖い。十分に暑いだろうと。しかし、最近は東京の夏も猛暑。下手するとバンコクより暑いまであるのだ。危ない。月の引力?自転のズレ?ニューワールドオーダー?あんなに好きだった夏もここ最近は「…暑すぎるっ」とへばっている。
ここには川を隔てて2つの市場がある。一つは生鮮市場で深夜の2時とか3時くらいから、昼頃までの営業らしい。オールドマーケットと生鮮市場を繋ぐ橋がひとつ、そこではローカルの子供達と犬が川に飛び込み遊んでいた。きゃっきゃきゃっきゃと楽しそう。橋の上からダイブする少年、浮島から川に投げ込まれる犬。とても平和である。
泊まるカフェで飯を食い、辺りを散歩して5時半、割と小さな手漕ぎボートに乗り込むと、すーっと4隻のボートは固まって航路をゆく。
「ピー!(兄さん)ピー!(兄さん)」
と俺に、船頭は何かを言ってきた。
どうやら、俺の肩の上に猫が飛び移るよ、ということらしい。頭を少し下げてスペースを開けると、スッっと猫が肩に乗った。こいつは高いところが好きらしい。白に茶色とグレーの模様でピンク色の首輪をしている。ムムム、人懐っこくかわいい。なんだこれおい!最高じゃないか!
おっと、猫が驚いたらいけないからな。静かに静かに。

ボートを行き来する猫達、夕陽も綺麗に空を染める。猫は全部で6匹くらいいたかな?1匹隠れてるやつもいたか。猫達はとても自由である。ボートの時間は1時間ほど、俺達がボートを降りた時には辺りは暗くなり始めていた。そのままカフェで夜ご飯。飯も美味いし、夜風も気持ちいいし、天国である。オーナーはフレンドリーで「最初肩に乗った猫は泳ぎもできるよ~」と動画を見せてくれた。猫って泳ぐんだ。かわゆい。
残ったガイトート(揚げ鳥)とビール、追加で氷を貰って部屋のテラスで飲み直した。目の前の川を、ドルルルルゥゥとエンジンを鳴らし、時たま船が駆け抜ける。田舎な雰囲気、アルコールが回り眠気を誘う。
歯を磨いていると、さび猫が来た。すかさずオーナーから貰ったチュールを差し出す。猫は「これこれ!」という顔して食べていた。他の部屋もまわってオヤツを頂いているに違いない。チュールを食べ終わって少しすると、猫は部屋を出て行った。かわいいやつめ。
早朝、5時。生鮮市場を見に行こうと部屋を出た。まだ暗かったがフアタケーの朝は早い。ローカルで賑わう市場、新鮮な食材や飯が並んでいた。観光客というか、外国人は俺1人だったんじゃないか?と思うほどのローカルっぷり。せっかくだからとタクバート(托鉢)用のご飯セットを30バーツで買いお坊さんを待つ。タイでは早朝、お坊さんにお布施をする場面を日常的に見ることができる。徳を積むことをタンブンと言い、食事をあげたりなどタイ文化の好きな一面だ。お坊さんが来ると、お米を托鉢へ、おかずは袋へそっと差し入れた。手を合わせると短いマントラを唱えてくれる。今日は朝から徳を積んだので気分が良い。別の場所でお弁当を買い、また別のお坊さんへそっと差し出す。空はうっすらと明るくなり始め、ムーピンとカオニャオを買って部屋へ戻った。ん~なんか良いことありそうかもな~。テラスでムーピンとカオニャオをつまみ、少し仮眠しようとすると、黒猫が遊びに来た。チュールを差し出すと、食べない。好みじゃないようだ。代わりにカリカリをあげると食べていた。チュール嫌いな猫もいるんだな~。

「サクヤンsakyant」
ガイドのゴブさんの後に続いて、マントラを唱えた。
2022年1番のイベントはサクヤン(สักยันต์ sakyant)だった。
タイに来る前に予約した「Arjan Neng Sak Yant Tattoo」はメッセージでのやりとりで予約ができ、タイ語が分からなければ英語の通訳を事前に手配してくれるサービスもあった。観光客でも行きやすいエリアな事もあり、初めてのサクヤンに選んだのだ。当時、俺は久しぶりの旅、世界ではコロナが入国制限をかけていた頃だった。マスクをつけている人はタイも日本も同じように多かったし空港でコロナ関係の書類を提出した覚えもある。そんな中、2022年はもうひとつ大きなニュースがあった。タイでマリファナのレクリエーション目的での使用が解禁となったのだ。ディスペンサリーが増え、そして人々をタイへ駆り立てた。男達はグランドラインを目指し、夢を追い続ける。世はまさに、大海賊時代!!のような響きがあった。
あえて旅のけつの方にサクヤンの予約を入れたのは、この旅でどんな事があったか、その時の気持ちからサクヤンを決める方が吉だと思ったからだ。最後の旅から月日が経ち、久しぶりのバンコク、半月間。俺はとことん羽を伸ばした。「やっぱり旅はいいよなぁ~」と。「これが生きるってことよ」と。具合は上向きだった。
渡された紙とペンに名前や国、なぜサクヤンが欲しいのか?の問いに、あれこれと書いた。これからの事や、旅が好きな事。タイが好きな事。運の強化などなど。これをゴブ氏がアチャーン(先生)に通訳してくれるのだ。仏像が並ぶ部屋、アチャーンネン氏はタバコを片手に座っていた。ひと仕事を終えた一服、そして俺に合うサクヤンを2つ見せてくれた。俺が選んだのは、太陽の形のサクヤンで背中の真ん中に入れてもらうことにした。
儀式が始まる。
不思議な空間。なんとも言えない感覚。「ラッキーが止まりませんように」と俺は目を瞑った。トントントントンと最中に痛みが走る。時間にすれば短かった。カタと呼ばれる祈り、呪文、魔法をサクヤンに施すと儀式は終わった。ふぅ〜、実際、初めてで少しナーバスだった。言葉の壁もあるし、失礼のないように、もちろん先生もゴブ氏も親切にしてくれた。初めてのサクヤン。「なんか良いことありそうな予感」俺はそんな気持ちに包まれていた。

その後数日、バンコクでは面白い出会いもあった。ゲストハウスの屋上で一服していると、偶然鉢合わせたトムってやつと何度か話すうちに仲良くなった。彼もまた旅人で、同じくらいの世代だった。「タイにはしばらくいるつもりだ」と言っていて、来年も来る事を決めていた俺は、連絡先を交換した。実際に次の年、俺らはタイでまた会うことになる。なんだかんだで2週間くらい一緒にいたかな、不思議な縁。これもサクヤンの力かな?とにかく、俺はあれからずっと「どことなくツイている」と感じている。



[サクヤンツアー]
まだ20代前半だったかな、タイのタトゥースタジオでサクヤンの図柄を彫ったことがある。なんとなくデザインが好きで、当時は無知で文化や伝統を理解していなかった。もちろん本物ではない。サクヤンは祈りとセットで行われる為、僧侶やアチャーン、その道の人にしか彫ることはできないのだ。俺はこれまでに5回、サクヤンの儀式を受けている。サクヤンには戒律がある。「嘘をつかない」や「盗みをしない」などなど。サクヤンを持つ人間は良い人を心がけなければいけない。しかし、人生はうまくいかない事もあり、自分を律するのは大変である。余計な一言を言ってしまったり、深酒に愚痴。日々の行いから時としてサクヤンの効力は弱まっていく。そうなると反省の毎日である。とても考えたくはないが、それで言うとワットバーンプラ วัดบางพระ (หลวงพ่อเปิ่น)で毎年行われるワイクルーフェスティバルでは再度、サクヤンに力を補充する効果もあるという。
サクヤンの儀式を受けてから、日々の暮らしの中にも変化を感じている。礼儀正しく、紳士に、なるべくそうありたい。そいえば…スピリットハウスの前を通れば自然と頭を下げてしまう。タイ人のようにね。思っている以上にタイ人はお願いをする。健康や豊かさ、人間らしく、そして正直に。寺で、スピリットハウスで。俺も「タイに長く住めますように」とか「なにか良いこと起きますように」と拝むたびにお願いしている。今がその「良い事」だったりするのだから人間の欲は罪深い。
サクヤンのブログを書いて以来、実際に質問をいただくことが多くなりました。初めての場合、どこでサクヤンを授かるのがいいのだろう?言葉は大丈夫かな?と俺も思っていた。伝統、文化、歴史、信仰、タイ語もまだまだ勉強中。
しかし希望があればバンコクでのサクヤンガイド(シェルパ役)もできると考えています。
儀式や流れは僧や先生によって、それぞれ独自の違いがある。恩恵の受け方は懐が広く、オイルによるサクヤン(跡が残らない方法)もある。
ハンターハンターの「制約と誓約」のように、「行動と心」に連動するサクヤン。目に見えない力は念となって良くも悪くも働くだろう。全てはつながっている。あなたがこの記事を読んだのも何かの縁かもしれないし、あなたにとって、サクヤンは神秘的な体験になりうるかもしれない。
サクヤンはファッションで授かるものではないとここで強く言っておきたい。目に見えない力は存在しないということではないのだから。

【サクヤンに興味がある方へ】
いくつかあるサクヤンの記事を読んで頂けたらと思っています。2022年から今年と4年の月日が流れ、知れる事も増えました。俺の記事でなくとも、サクヤンについて調べるのがいいでしょう。サクヤンツアーについて相談があれば、気軽にメッセージを送って下さい。InstagramかXで受け付けています。
[プラクルアン]
タイではお守りを借りると言います。多分、知らないだけで日本でも「お守りを買う」は良い表現では無いのかも。「手に入れる」とか「授かる」の方がいいような気がする。さて、プラクルアンの世界はマジカルでミステリアスだ。最初はただ「タイのお守りかっこいい」と町の爺ちゃん婆ちゃんを見て思ったのだ。お守りをネックレスにして身に付けている人が多く、色々な形状、バラエティ豊富、超レアで貴重なプラクルアンもあれば、大量生産の物もある。作られる材料にも違いがある。ストーリーがあり、魔法の力を宿すとも。時として2億円もの値が付くプラクルアンはアンティークや投資の一面、そしてダークサイドの一面もある。

俺が初めて手に入れたプラクルアンはワットバーンプラ วัดบางพระ (หลวงพ่อเปิ่น)だった。サクヤンの祖、ルアンポープン師の眠るお寺でございます。初めてワットバンプラでサクヤンを授かる時、プラクルアンも借りたのだ。サクヤンで有名というユニークな、唯一無二の魅力を持つワットバンプラ。初めてのプラクルアンがここだったのは縁があったのだろう。それ以降、お寺やプラクルアン屋を見て歩くのが好きになった。プラクルアンのケースには仏暦が刻印されている。543年を西暦に足すと仏暦になるので覚えておくと便利である。自分の生まれ年に作られたプラクルアン、そういうのが見つかればラッキーだろう。

俺は目利きの知識が無いのでストリートや市場の品に手を出した事は無いが、「念が使えたらお宝探せるのに」と思っていつも見ている。あ、また煩悩が。ところで、プラクルアンの工場、ケース屋は割と色んな場所にある。バンコクやチェンマイにはプラクルアン専門のマーケット、アミュレットマーケットなんて場所もあるのでGoogle mapsで近場をチェックすると吉。バンコクだと王宮、カオサンロードの近く。チェンマイだと旧市街から少し行った場所に2つアミュレットマーケットがある。市場付近にある場合も多い。おれはワットバンプラのシンボル、虎のプラクルアンをプラスチックケースに入れてもらった。工場のお兄さんに「ウォータープルーフだよ!」と言われステンレスより良さそうだとネックレスにして首から下げている。ズバリ言ってとてもかわいい。俺はコレクター気質ではないのだけれど、プラクルアンは増えていく。なんだか御朱印集めのようだ。

タイに来て、お寺巡りが好きならば、お土産に一ついかがでしょう?そのプラクルアンには、不思議な力が宿っているかもしれません。
『タイ南部』

『Koh Phayam(パヤム島)』
タイはラノーン県にあるパヤム島、初めて来たのは20代ど真ん中ぐらいだったかな、その時はお馴染みの、圧縮されたタイのガンジャがレゲエバーで買えたのだが時代は変わり、今は島に一軒のディスペンサリーがある。場所は丁度島の真ん中辺り、ロングビーチへ続く島のメインロードに看板が出ている。
実はタイで1番丁度良い島はパヤム島ではないだろうか。家族旅行リゾート派からバックパッカー1人旅まで。ゆっくりと流れる島の時間、素朴で人も多過ぎない(時期によるかも)ビーチの開放感はほとんど独り占めに近かった。たまにあるムエタイの島興行から各ビーチのBar、パーティー、賑やかさ、静けさ、全てが1番丁度良いのだ。
俺はバンコクから長距離バスに乗った。バンコク南バスターミナル(サーイタイマイ) สถานีขนส่งผู้โดยสารกรุงเทพ ถนนบรมราชชนนี (สายใต้ใหม่)からラノーン行きが出ている。早朝、ラノーンへ着いたらパヤム島行き船着場へ。ボートは頻繁に出ていてアクセスもしやすい。バンコクから飛行機でラノーンもありだ。
スピードボートに40分ほど揺られるとパヤム島の港に到着した。ボートに乗っている間は霧っぽく、朝日と合わさり幻想的に見える島々にウキウキとした。2度目のパヤム島。「正直、あんま覚えていないな~」土地勘は全くないと言っていい。とりあえず、と港近くのカフェに入りビーチ席へ。
「良いカフェじゃん!」
ひょっこりと黒い犬が現れて、俺の足元で横になった。白人のおじいちゃんがジョイントに火をつけ、吸いながらコーヒーを飲んでいた。

島の大きさはバイクで回るのに丁度良く、多くの旅行者はバイクをレンタルしていた。俺も3日間バイクをレンタルして島をまわった。十分だった。泊まったバンガローからはビーチも近く、飯屋もあった。不便はなく、結局毎日行ったのは近場のビーチ。1週間の島暮らしでは夕方にビーチでのんびりと過ごす事が日課になった。昼間はテラスで小説版ガンダム「閃光のハサウェイ」を読み、バンガローの番犬と戯れた。うん、やっぱりパヤム島が1番丁度いいかもな。
『チュムポーン(ชุมพร)』
パヤム島からラノーンに帰ってきた。漁港の町なのでラノーンは水族館の匂いがする。これはペンギンの匂いだ。フェリー乗り場には、ソンテウ乗りの兄さんが客を捕まえようと、片っ端から声をかけている。流れのままソンテウに乗り込んだ俺、バスターミナルまで15分。チュムポーン市内行きのミニバンチケットを買った。バスの本数が少ないのか、おばちゃんが「昼過ぎくらいかな〜人が集まったら出発するよ」なんて言っていた。ボーっと待っていると声がかかり人数は集まっていないが出発するらしい。1時間も待たずにラッキーな展開。
チュムポーン駅前でミニバンを降りた。初めてくる町だった。2日間宿を予約してある「ブティックユーロホテル」はメインストリートにあり市内のベストなロケーションだった。メインストリートは駅から真っ直ぐに1キロほどだろうか、早朝から屋台が出て、夕方からは駅方面でナイトマーケットもある。毎日だ。食事に関しては恵まれすぎていて、間違いなく旅人に優しい。長期滞在も良いだろう。ホテルの部屋には小さなバルコニーがついていて、小さく可愛い机と椅子が置いてあった。もちろん部屋も綺麗でチュムポーン初日から最高だなと。しかし、早朝にパヤム島で吸ったジョイントが最後で手持ちが無かった。「先ずはガンジャ屋さんをチェックせねば」とGoogleMapsで近くのディスペンサリーを調べた。

ブルーベリー、1グラムで100バーツ。ジョイントに火をつけるとブルーベリーとクッキーっぽさのある匂いが鼻を抜けた。値段の割に良い品である。こういう田舎のディスペンサリーは時に、大きな味方でございます。高くて美味いは当たり前、安くて美味いこそ最高なのだ。貧乏な旅人の俺にチュムポーンはとても優しかった。夜の市内はメインストリートに屋台が沢山出ていて歩くだけで楽しかった。ナイトマーケットは駅寄りに青空レストランが出現し、どこで食べようか悩むほど。ん~カオマンガイ、カオマンガイかな。カオマンガイ美味しそう。席に着いて注文、おばちゃんがダンダンダンと中華包丁で鶏をカットした。スープと一緒にカオマンガイが目の前に運ばれる、ひと口。安定の味、しかも40バーツだった。北部と同じ価格帯で安く美味い。カオマンガイだけでは足りない俺。近くのヌードル屋もはしごした。早朝には屋台で5バーツ(一本)のムーピンを買った。5本とカオニャオで40バーツ(200円)くらいだったような。やはり、この町は優しい。
『スラーターニー(สุราษฎร์ธานี)』
朝のカオトムがやけに美味い。タイ南部の港町、スラーターニー。
サムイ島、パンガン島、タオ島とここから有名な島々へ船が出ている。その為、観光客は通り過ぎることが多いのではないだろうか。ズバリ言いたい。スラーターニー、市内はコンパクトで飯も美味く、住み良い街である。
沈没、または長期滞在に向いている街には条件がある。宿が安い。市場が近くで飯が美味い。そして散歩が気持ち良いことだ。スラーターニー、街の中心地には多くの市場ある。「安いよぉ〜ぅ!!安いよっ!新鮮だよっ!」と朝市の活気は元気に街を盛り上げる。人も多く、賑わっている。夕方、やっぱりここでもやっていた。「ヌーン ソーン サムレッスィー」そんな掛け声が響く。ターピー川沿いの広場で音楽を流し、おばちゃん達が踊っていた。陽気。軽快。エアロビクス?タイ全土のおばちゃん達がやっている。ここでは2グループ。ひとつはタイ歌謡曲でしっとりめのダンス。少し離れて、もう1グループはタイダンスミュージックで激しかった。周辺ではローカルのちびっ子が走り回り、じーさんは散歩をし、若い子は写真を撮っていた。川をボートがグーーーッンと走り抜け、水面はキラキラ、オレンジ色が揺れている。時計塔の交差点をバイクが走り去る。ノーヘル3人乗り4人乗りの家族が5連続。いつものタイ。ふと、全てがタイのリズムに合ってきている感じがした。ほどけてゆるけて。にしてもこの国は「陽」の雰囲気凄いよな。夜はナイトマーケットがあり週末には規模がでかくなる。暗くなり、時計塔のスピーカーからはタイポップスが流れていた。ちょっと昭和な、歌謡曲っぽいノリが街と合って良い雰囲気だった。ぼーっと明るい街灯、ライトアップされた橋、バイクの音、、、少しモヤのかかった、哀愁を感じる蒸す夜だった。

港町のスラーターニーでは朝ごはんにカオトムプラーがおすすめだ。「優しいもん食いてーな」って時、タイではジョークかカオトムになる。カオトム(ข้าวต้ม) (Boiled Rice)はスープの中に米が入っている。クッパみたいな料理だ。具材は豚か鶏、もしくは海鮮が一般的だが、バライティは豊か。店によっては内臓系も食べる事ができる。薬味、とくに生姜が効いている。サラサラっと食べられるのが特徴。俺はこのスープに米って類いの料理が大好きでね。特に、魚のカオトムには目がない。
スラーターニーのプラー(魚)は新鮮、値段もお手頃。魚のサイズも大きい。こんな贅沢な朝ごはん、もし観光地のサムイ島で食べたとしたら、倍の値段になるんじゃないか?
『プラチュワップ キーリー カン(ประจวบคีรีขันธ์)』
案内された部屋のドアを開けると、感じの良い窓、外には海が広がっていた。目の前は海、ベランダには木造りの卓と椅子が置いてあった。最高の眺めで、夢のようなゲストハウスだった。宿の名前は「Friday's Guesthouse and Cafe」俺の泊まった海の見えるベランダ付きの部屋以外には、ドミトリーや普通の部屋もある。しかし、ここは"海の見えるベランダ"一択だろう。
部屋は綺麗で、どことなく、ジブリに出てきそうな感じもある。海の見える窓際の机で、何かしらするだけで、映画のワンシーンのようにも思える。「海の見える」って言葉の力は凄まじい。俺は今から3日間、このベランダでガンダム0083の小説を読み、フルーツを食って、のんびりするのだ。


とりあえず巻いて一階へ、ゲストハウスの入り口はカフェになっている。今は閉まっているけれど、灰皿がありここが喫煙スペースだった。来た時は、若い白人のバックパッカーがジョイントを吸っていた。

目が覚めると、まず、波の音が聞こえる。窓の外は朝焼け、時間を見ると5時半だった。グッドタイミングで目が覚めた。ベランダに出てみると、風が涼しくて気持ちが良かった。厚い雲の隙間を縫って、太陽が海と空を照らしている。「お~サンライズビーチだったんだ、知らなかったよ」と。船も少し出ていた。昨日の夜は緑のライトを光らせて、多くの船が漁をしていた。朝早くから散歩したり、ジョギングしてる人達もいた。さらに、ビーチで犬と歩いている人達、あれは覇者でございます。人生の覇者。4匹連れてビーチを散歩している夫婦もいたからな。俺だって、ここでなら朝と夕方、贅沢に2回散歩したい。いつかタイで犬飼えたらな~。

田舎では早寝早起き、楽しみは飯だった。プラチュワップキーリーカンには海辺から、町の中心部、駅沿い、と3つのナイトマーケットがある。宿の裏手では朝市、週末には、海辺のマーケットの規模がでかくなる。学校の前には、お菓子系の屋台が並び、下校の時間におやつを買う。良い文化だよな。ちびっ子はお母さんお父さんに屋台でおねだり、毎日が縁日のようなのだ。
プラチュワップキーリーカンは鉄道市場が1番栄えている感じがするな。綺麗な市場で安くて美味そうな食べ物ばかりだ。行ったら当然、なにかしら買って帰る事になる。誘惑が凄い。屋台飯、当然、食べ歩きもした。お持ち帰りにはもちろんフルーツ。タイでは果物が屋台で簡単に手に入る。これが本当にありがたい。
南部の田舎町。観光客も多くなく、静かで、のんびりとした時間が流れるローカルなビーチタウンだった。
「ついてついてつきまくる」
その日、ローカルの人達は全員宝くじ売りに群がっていた。なんでも、今日は宝くじの日だとか。番号の発表があるという。その前に、ここはひとつ!そういうことらしい。へ~。家の近く、市場前では宝くじ売りが何人か商売をしていた。値段設定も多少違う。せっかくだからね。2025年も気が付けば年の瀬ですし。近くにいたおばちゃんの売り場には4〜5の人が真剣な顔で宝くじを見ていた。俺も後ろから首を長く覗き込んだ。ん~、違うか~、という顔で移動。何が違うのか、ざわ……。もうほとんど売れ切り間近、薄いアタッシュケースを広げて宝くじ叩き売りのおっちゃん。売り場は空いていた。宝くじと睨めっこ。ざわざわ…。ん~どの番号が景気良さそうかな~。
タイはどこにでも宝くじ売りがいる。そのくらい身近であるにもかかわらず、俺は宝くじをタイで買うのが初めてだった。手に取った2枚組の宝くじは100バーツとか200バーツとか、値段もおっちゃんの顔も忘れてしまったけれど、夕方過ぎに発表された番号を見ると… 4000バーツ当たっていた。
「ありがとうございます!」

やっぱりだ。
なんだか最近、ツイているような気がしていたのだ。ついて、ついて、つきまくる、それが私だラッキーマン!が脳内で何度も再生された。
「イサーン地方ภาคอีสาน(Isan)」
初めてイサーン地方に行ったのは20代中旬くらいの頃だった。その時、俺はラオスのドンデット島(DonDet)にいた。とにかく大きなメコン川には島々が点在している。そこはシーパンドンと呼ばれ、ラオスは南部、目と鼻の先にはカンボジアである。ドンデット島はあまりにも田舎である。飯を食って、のんびりして、寝る。これだけ。必然、1日の楽しみは夜に飲むビールくらいのもので、当時、ドンデット島では船着場の小さなビーチに簡易的なBarが出現していた。

暗くなると、小さなビーチには焚き火が、その焚き火を囲って数人がビーチに腰を下ろしている。辺りは暗く、なにかのミサのようにも見えた。ビーチの先には真っ黒なメコン川が流れ、「アマゾンだよ」と言われれば、「そうなのであろう」と納得の場所である。そこで飲むビールは秘境の雰囲気でもって、秘密を共有する仲間のように、焚き火を中心に輪が広がる。俺はそこで出会ったタイ人と仲良くなり、彼の住んでいる場所をバンコクに戻る前に訪ねた。それが始まりである。

ドンデット島からパクセー。国境を越えてウボンラチャターニー。バスは夜着いた。バスターミナル、彼が迎えにきてくれて、2日間の滞在中、彼は色々な場所へ連れていってくれた。ただ、当時の俺はタイ語はもちろん、英語も殆ど分からないような、無知なバックパッカーである。実際、イサーンと呼ばれる地方があるのを知ったのは当時ではなくここ数年の事。
[ウドンターニー]
夕方を過ぎて空が暗くなった頃、バスターミナルでは小学生くらいの子達が数人、サッカーボールを蹴っていた。赤いユニフォームを着た少年の足元はサンダル。バスの来ない間は良い遊び場である。俺も小学生の頃、家の前がバスの来る駐車場で空き地のようだった。同じように遊んでいた事を思い出す。ウドンのバスターミナルは哀愁があるな。昭和な感じっていうのかな。バスターミナル目の前のゲストハウスは400バーツ、バスの待ち時間が長い場合は休憩として使うにも良さそうだ。屋台もあるし、バイタクやタクシーもダラダラと次の客を待っている。チェンマイやチェンライ方面のバスも出ている。あえて、出発時間の近いバスにのり、行き当たりばったりの旅をしてみるのも贅沢ではないだろうか。


俺は2024年、コラートからコーンケーン、ウドンターニーからナコーンパノムと旅をした。特に何をするでもなく、数日ごとに街を変えるバス旅である。ムクダハーン辺りまで行こうかとも思っていたが、帰国の日にちも迫っていたし、バタバタとバンコクへ戻ったのだ。
イサーン地方は広い。
「タイ北部」
『チェンマイ(เชียงใหม่)』
チェンマイには2023年、Airbnbでホテルの一室を借り28日を過ごした。ソンクラーン前でやたらと空気が悪かった事を覚えている。4月後半辺りから空気はだんだんと良くなっていくのだが、3月はまったく観光に向いていない。しかし、それでもチェンマイはタイの観光地で一二を争う居心地の良さ、のんびりとした空気感があるのだ。

まだ外は暗く静かな早朝5時。大音量でお祈りが始まる。毎日決まった時間にモスクからお祈りが聞こえてくる。ホテルの裏手はムスリムコミュニティで金曜日の早朝には朝市がやっていた。『雲南ムスリム金曜朝市(ガード・バーン・ホー)』そこでは、北部名物の餅お菓子、カオプック(Kao pook)が売られていた。餅好きには堪らない一品。みたらし団子に匹敵するどこか懐かしい味がするのだ。黒胡麻のタレが日本ぽい味なんだよな。今まで、北部では見つけるたびに食べていたが、正直この朝市で売られているカオプックが一番美味かった。チェンマイ旧市街では週末大規模なナイトマーケットが開かれる。さらにはモン族の市場やナイトバサールとチェンマイは市場が多いのだ。北部の代表的な名物料理といえば、カオソーイと呼ばれるココナッツミルクを使ったカレーラーメン。とても有名である。初めて食べた時は「うんまぁ~~!!」と感動したものだ。割と頻繁に食べていた。今ではバンコクでも気軽に食べれる事を知っている為、頻繁には食べないけれど、たまに無性にカオソーイの口になる事がある。そういえば、初めてオレンジアメリカーノ(アイスコーヒー+オレンジジュース)を飲んだのもチェンマイであった。美味いもん沢山知った旅だったな。寺が多いのも俺好み、大好きな街である。

『パーイ(Pai)』
「チェンマイ、パーイ区間の山道はカーブが多く車酔いする」そんな情報が多くてゲンナリしていた。果たして本当なのだろうか?最悪のケースは頭文字Dみたいなノリのミニバン。アドレナリンどっぱどぱだ!!と峠を攻めだしたら勘弁なので念の為、セブンイレブンで買った酔い止めを飲んでミニバンに乗り込んだ。誰も座ってないので、ちゃっかり助手席。フハハハッ、これは幸先が良い。道は綺麗だった。ドライバーの腕なのか、安全かつスムーズにパーイへ到着した。途中、15分休憩があってトイレしたり、売店では軽食も売っていた。確かにカーブの多い山道だった。ドライバーが乱暴な運転をすれば酔う人もいるだろう。パーイのあるメーホンソーン県はタイ北部、ミャンマーとの国境にある山岳地帯。多くの少数民族が住んでいる。チェンマイからはミニバンで約3時間半、山間の小さな町。バックパッカー、旅行者に人気でヒッピータウンとも呼ばれている。たしかに、そう言われると心なしか、ドレッドの人を多く見たような気がしている。
パーイの町は川沿いが栄えていてバーやレストランが多い。夜は電球でライトアップされて可愛いかった。ナイトマーケットのあるメインストリートは土産物屋、数匹のヒッピー犬、お寺の門には2体のYak(ヤック)が鎮座し、この町を守護している。山のリゾート地みたいな雰囲気と、ヒッピータウン感もあって可愛い小さな町である。
ゲストハウスから出て直ぐだった。朝から陽気なミュージックは聞こえていた。ソンクラーンかとも思ったが、ソンクラーンにはまだ早い。定かでは無いが、出家パレードだと思われる。パーイの子達、どこか少数民族の村の子かも。一時的に出家する文化がある。それにしても盛大で大きな規模である。外に出るまで、まさかパレードだと思わなかった

お気に入りとなったハーブティー屋、MalamongArtCafe。GoogleMapsではHerbal drinks Coffee TeaKonbuchaの表記と2つあるがどちらも同じ店。店先には看板メニュー、魔女が使いそうなポッドに入ったハーブティーが炭台に乗のっていた。土の釜戸があったりと雰囲気が良い。2度行ってジンジャーティーとバタフライピーティーを飲んだ。バタフライピーはライムを絞ると色が紫からピンクに変わる。美味しいし、見た目にも良い。
かわいい雑貨が店を飾る。外席では喫煙可能なカフェ。オーガニックのスカイウォーカーと数種類のガンジャが置いてあり価格は安い。俺の後に来た大男は竹のボングを取り出し、3連発で竜のような煙を吐き出していた。なんとも平和な町である。ハーブティーという響きだけで健康になった気さえしてくる。ん〜毎日行くべきだったかも。


パーイではもう一つお気に入りができた。HommisSamosasという手作りサモサのお店。ここのサモサ、本場より本場。人生で一番美味かった。ナイトマーケットで屋台を出している時がある。ここパーイには1週間、正直何もしなかった。何もしないと決めていた。毎日をただただのんびりと過ごすのだ!と究極の贅沢で毎日が過ぎていった。何もしなさ過ぎたのでパーイはもう一度、次は涼しい時期に来てみたい。
『チェンライ(เชียงราย)』
チェンライはタイ北部の田舎町。バックパッカーに人気の安宿や、市場の屋台グルメを楽しめる。チェンマイから北へ150キロ程。バスに揺られる事3時間、途中では野焼きを見た。PM2.5の元と言われていて、景色が茶色くなる。「ゴールデントライアル」でも有名な最北の県チェンライ。田舎街だが開発中でもある。ミャンマー国境沿い最北の地まで続く道路はチェンライで一部10車線にもなる。バスターミナル付近がチェンライの中心地。レストランやBAR、猫カフェまである。夜はナイトバザールがあり生演奏を聞きながら食事ができる。田舎なので人は少なく混まない。都会を離れ、ゆっくり過ごすのにはいい街だ。


チェンライのバスターミナルからは頻繁に国境の町、メーサイ行きのバスが出ている。ボーダーは活気があり、中国の偽物ブランド品や安い日常品。大きなマーケット。タイ人ミャンマー人の出入りはイージーで多くの人が行ったり来たり。近くにはお寺がある。まるでドラゴンボールの蛇の道のように続く階段を登ると、そこからミャンマーはタレチクの町並みを見ることができる。チェンライからの日帰り旅行はチェンコーンもバスで行きやすい。チェンコーンはラオスが対岸にあり、メコン川が悠々と流れている。川沿いの散歩くらいしかやることはない田舎町。結局チェンライには2週間くらいいた。平和でほのぼのとした街。暇つぶしは散歩とカフェ。ローカルの暮らしに近い旅を求めている人におすすめだ。
『バンコクBangkok』
バス停に着くと、すでにバスが来ていた。階段を降り、少し小走りでプラットフォームへ。ギリギリ間に合わないか…バスのドアが閉まった。ちぇっ、と歩く俺。すると、プシューっとまたバスのドアが開いた。おぉ〜、優しい。小走りでバスに飛び乗り「コープンカップ!」と運転手へ。ふぅ、ラッキーラッキー。カードをタッチしてお金を払った。そういえばこの前、カードタッチが反応しないお兄さんに、アクセサリーじゃらじゃらのファンキーなおばちゃんがカードを貸していた。20バーツを差し出すお兄さんに「マイアオ(いらないよ~)」とおばちゃん。バンコクでバスに揺られていると、日常にちょっとしたドラマがある。
夕方には、手持ち花火で遊ぶ子供がいたり、仕事終わりだろう、青空レストランでビールを飲むローカル。やたらと混むラッシュアワーはバンコク名物、バスはなかなか進まない。そして効きすぎた冷房。
俺はいつも、窓の外をずっと見ている。音楽も聞かないし、携帯も見ない(たまには見る)。何度も通っているが、街を見るのが好きなのだ。さしずめ、世界の車窓からである。景色は流れ、バナナの木が植えられた都会の空き地を通り過ぎた。奥には古びた家、2階に大きなアンテナが設置されている。何をそんな受信する事があるのだろうか。
バスから降りて駅の方に向かうと、ストリートミュージシャンがバイオリンを弾いていた。癒しの、耳心地良い音楽を奏でていた。カシコン銀行のATMでお金を下ろしせっかくだからと、一駅分歩くことにした。退屈そうな店番のおばあちゃん、屋台飯で昼飯を食うおじいちゃん。殆どの休みの商店街を抜けて、サラデーン駅まで向かった。暇になると地図を見る事が増えた。たまには遠出もしたい。殆ど行った事がないエリアは中部。カンチャナブリから北へながれナコーンサワン、スコータイ、ランパーン、プレーにナーン。3連休、または4連休があればどこに行こう。これでもかと地図にはピンが増えていく。



あとがき
旅が日常に溶けて、暮らしの中に旅を感じるような、淡々とした毎日もやはり東京での毎日とは違うもので、この街はいつも面白い。ふらっと放浪癖のある俺も、年末にもなると皆んな元気にやっているかな?と日本のことも思い出します。そんでもって「あのときこうしてればな~」なんて反省や、ずっとタイで暮らしていくためには。といっぱしに悩みも持ってみたり、今日も平和に生き延びたな、と一人で納得したり。割と忙しく過ごしています。
今、俺はチャオプラヤー沿いのローカルエリアに暮らしている。学校のある日以外でバンコク中心地に来ることは殆どなく、でもって飯はローカルレストランや屋台飯。来たばかりの頃はGoogleMapsを使って歩いていたが、今では土地にも詳しくなった。最近の旅といえば、学校の休みの日に一泊旅行でバンコク近郊。行ったことのないエリアも多く、まだまだ魅力は尽きない。
スピリットハウスの前、今日も誰かが手を合わせている。人々は花を飾り、お供えをしている。古から住む土地の精霊、神様や自然への感謝の心が、目に見えないエネルギーとなって、この土地の豊かさを生んでいるのかもしれない。微笑みの国、この土地に住む人々の陽気な精神は俺にとって、とても眩しい。ご飯を食べて、タイ語の勉強をして、よく寝る。そしてまた次の日が来る。 2026年、来年はどんな一年になるだろう。ん~、毎度の事だが、なんか良い事がありそうな気がする。
「旅はまだまだ続く~」

